Mac安田の自己紹介
ハワイフリーク
私が始めてハワイに行ったのは1974年。1ドル308円の時代。日本のバイトが自給280円。ハワイのバイトが自給5ドル(1540円)なんと5.5倍だった。当時の日本は今の中国のレベルだった。そんなときにハワイ大学へ短期語学留学なんて、私はほんとに恵まれていた。日本での下宿は焼けた畳の4.5帖と臭い共同便所。風呂無し。ハワイではホテルライフ。”Is here a hotel?” “No, here is a domitory” ド、ド、ドミトリー? 寮? 寮だったのか!。円筒形の12階建て。1階はレストランはホテルのバイキング形式。分厚いステーキ。みずみずしいベジタブル。色とりどりのフルーツ。何種類ものジュースとアイスメーカーがあって、氷はスコップで取り放題。そのころの日本の冷蔵庫は氷を12粒つくるのに一晩かかった。6人家族なら一人2個ずつ!と行儀よく分け合って、だいじに氷を眺めた。そんな時代。
「こりゃあ、戦争に負けるわ・・・」これが私の印象だった。兵隊さんごめんなさい。
1974年当時は、ちょくちょく海外へいけるなんて思っても見なかった。新婚旅行は宮崎と相場が決まっていた。その次に私がハワイへ行ったのは9年後の1983年。その時1ドル=248円 海外旅行の自由化が進みだした。でも、エアチケットはボッタクリほど高く、「日本の若者がもっと国際的になるため!」とHISの社長が個人で努力を始められた時代。そのあと私はハワイフリークになり、毎年ハワイを尋ねるようになった。何度いっても、また行きたくなる。その魅力はハワイの気候。
椰子の木陰にいるとクーラーはいならい。夜の浜風がここちよい。私はハワイで暮らす方法を真剣に考え始めた。せっかく建築を勉強したんだから建築を極めたい。でも、この語学力じゃトラブルの元。だったら、寿司屋かラーメン屋か市内観光の運転手でも(でもとは失礼)するか・・・とも考えたが、なかなか踏み切れず・・・
ある時、発想の転換ができて、「ハワイの気候を日本に持って帰れば、自分だけじゃなく、日本の皆様に喜んでもらえるかも・・・」と思った。そこで、ハワイの気候と日本の気候の違いを調べたりしたが、具体的にどうすればいいかわからず、年月は経ち、いつの間にか思いは薄れてきた。1999年に発刊された「日本のマンションに潜む、史上最大のミステーク」は北欧における省エネ断熱の本ではあったが、私にはグッときた。これは私の夢につながる技術じゃないか? さっそく札幌に飛んで、著者の江本央先生に教えを請う。その後、研究を重ね、ここち良い条件は温度と湿度の調整以外の条件があることが解った。つまり、床・壁・天井の温度と室内の空気の温度が同じにすることが条件だった。それまで、冷暖房といえば、部屋の空気を冷やしたり温めたりすることと思っていた。2007年でもそう思っている人は多いはず。あとは適当な気流、つまりそよ風がだいじな要素となる。ここから先は「外断熱で創る快適空間」にゆずります。












